2014年10月1日水曜日

1985年以降







 「芸能の報道化」と「報道の芸能化」――。このことを、ずいぶん以前から指摘されていた社会学者の村上直之さんが、本年(2014年)5月に逝去された。

 村上さんは名著『近代ジャーナリズムの誕生』(改訂版/現代人文社)で知られるジャーナリズム史の泰斗であるだけでなく、ある種の万能人であった。長年、神戸ビエンナーレのディレクターを務められ、華道に関する書籍も編まれ、横綱・若乃花の化粧まわしのデザインも手がけられた。詩人であり、歌人であり、演劇批評家であり、いくつもの小演劇に黒子的に関わってきた。若き日にはみずからボクシングにも熱中されていた。

 学者らしい科学的で精緻な思考と、詩人の自由な目、生きとし生けるものへの深い祈りの心を併せ持たれた、友へのサービス精神の尽きない人だった。

 その村上さんは、日本の「報道」が大きく変容したひとつのターニング・ポイントとして「1985年」という年を挙げておられる。この年は、とりわけ「報道」という側面で特筆すべき事件・事故が連鎖した。

 すなわち、その前年から始まっていた怪人21面相を名乗る犯人が商品に毒物を入れて企業を脅迫した「グリコ・森永事件」に加え、6月には居並ぶテレビカメラの生中継の前で凄惨な殺人が決行された「豊田商事会長殺害事件」があり、8月には航空機事故史上最大の犠牲者が出た「日航機墜落事件」が起きた。また9月には、同じく前年から一部週刊誌が大々的にキャンペーン報道をしていた「ロス疑惑事件」の当事者が逮捕された。

 新婚旅行先のロサンゼルスで何者かに銃撃され妻が死亡し自身も重傷を負った夫を、保険金殺人の首謀者の疑いがあると報じたのが「ロス疑惑事件」である。逮捕されたこの夫がそれまで女性誌や芸能ジャーナリズムに〝悲劇の主人公〟として扱われてきていたことが、報道の過熱に拍車をかけた。

 村上さんの論述によれば、逮捕までの1年9カ月間だけで、週刊誌・女性誌に載った記事は延べ240冊/約850ページ。ワイドショーの当該報道は高い視聴率を維持し続けた。〝美談の主人公であるから〟という理由でメディアは一私人のプライバシーを暴き立てることを正当化したのだったが、そもそも夫を〝美談の主人公〟にしたのはメディア自身だった。村上さんは、この一連の事件報道を「芸能の報道化」と命名している(『講座社会学』10巻 逸脱/東京大学出版会)。

 一方「グリコ・森永事件」は、犯行声明を広報する役目をマスメディアが犯人によって指名され、同時にメディアが〝キツネ目の男〟の似顔絵を掲げて犯人の検挙を国民に呼びかけるという、犯人と捜査当局にマスメディアも加わった三つ巴の劇場型犯罪となった。

 村上さんは「ニュース機関は犯人と警察と市民という3者の間を取りもつ〝狂言回し〟の役柄を嬉々としてまことに楽しげに演じた」(前掲書)と述べ、これを「報道の芸能化」と名づけた。

 こうした「芸能の報道化」「報道の芸能化」というメディアの変質とパラレルな事象として、女性の社会進出が促されていたことを村上さんは指摘している。すなわちこの85年は、女子差別撤廃条約への批准を受けて従来の勤労婦人福祉法が男女雇用機会均等法に改正された年でもあるのだ。女性の消費行動が産業の趨勢に大きな影響を与える時代の、いわば出発点の年でもあった。

 そして、この85年10月から久米宏の軽妙な司会による報道番組「ニュースステーション」が始まるのである。以後、80年代までのテレビに君臨していたドラマと歌謡番組は衰退し、それまで芸能ネタを専門としていたワイドショーが時事的なニュース報道の領域もカバーするようになる。今日に続くような〝情報バラエティー番組〟の萌芽である。

 それは同時に、過去にはなかった〝報道が視聴率を競う時代〟の始まりであった。広告収入に直結する視聴率はテレビ産業の生命線である。ひとつの事件や事故も、いかにすれば視聴率の上昇に結びつくかという視点で取捨選択され演出加工されるようになり、それは奇しくも10年後の1995年に連続して起きた阪神・淡路大震災、オウム真理教事件の報道で、理性をも失ったかのように沸点に達していく。

 皮肉なことに、この95年を境に週刊誌メディアの売り上げ退潮が始まり、インターネットの普及や団塊の世代の退職なども影響して、この時期からテレビと新聞も経営難の時代に入った。もっとも、とりわけ大規模な事件・事故、災害に際して、依然としてテレビ報道が大きな影響力を持っていることは、東日本大震災で経験したところである。

 ひとつの悲劇の現場で中継カメラに向かってキャスターが何かを叫んでいる時、それはジャーナリズムの現場なのか視聴率競争の現場なのか。私はいつも村上さんの言われた「1985年」ということを思う。

 情報それ自体を発信することは、今や誰にも可能な時代になった。プロフェッショナルの報道人に要請されるのは、もはやいかにリアルな現場を伝えるかという類のことではなく、ジャーナリズム本来の役割とは何かということを学際的にも身につけ、なおかつ困難な現場にあって自分で判断できる資質であろう。