「憎しみの連鎖」が巻き起こる世界の中、
メディアの真のあり方を問う。
東晋平 vs 村上直之(社会学者/神戸女学院大学教授)
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コミュニケーションに不可欠な媒介者
村上 今日、メディアという言葉はハード面の〈媒体〉という意味でしか使われませんが、より根源的には〈媒介者〉という意味です。従来、ジャーナリズム論とメディア論は別々に論じられてきましたが、私の関心はこの両者をいかにトータルに捉えるかにあります。
マクロな視点からは、ジャーナリズムの規範原理として、政府と国民のあいだを媒介する、自由で独立したメディエーター(媒介者)という役割があります。他方、よりミクロな面では、人間関係における媒介者の役割があります。
哲学は、しばしば自己と他者という二項関係を論じてきましたが、人間のコミュニケーションの成立には媒介者という第三項が不可欠であることを忘れてきたのです。
東 おっしゃるとおり、人間にとって、自身との内省的な対話や、他者との開かれた対話を促し、人と人とを結び合わせていく「善き友」の存在は不可欠です。そういう〈媒介者〉を得て、私たちは真の意味で、自分の人生を社会的に意味あるものへと開くことができます。
村上 97年に神戸で起きた酒鬼薔薇事件をめぐって、東さんは亡くなった山下彩花ちゃんの遺族と対話を続け、母・山下京子さんと共に、『彩花よ、生きる力をありがという』をはじめ、今日まで3冊の手記を出され、社会に大きな反響と共感を呼びました。
東さんはご遺族にとっても社会にとっても、まさに〈媒介者〉としてジャーナリズムの根源的な役割を果たされてきたと思います。
東 温かい評価をいただき、ありがとうございます。
村上 突然、わが娘を奪われた被害者が、加害者あるいは社会に、どう向かい合っていくのか。一連の手記は、今日の世界を覆っている「憎しみの連鎖」を断ち切る視座を内包しています。
今やっと媒介者としてのジャーナリズムを考えることの重要性や緊急性が認識されはじめたと思います。
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「憎しみの連鎖」を超越するメディア
村上 ここで、2002年にイスラエルで公開された『マイ・テロリスト』というドキュメンタリーを紹介しましょう。銃撃テロに遭ったユーリー・ゲルステルという女性の20数年の軌跡を描いた60分ほどの映画です。
東 翌03年、アムステルダムで開催された国際ドキュメンタリー映画祭で銀狼賞を受賞し、世界各地で上映されていますね。日本では同年3月、NHK衛星第1で『テロリストと私――和解への願い』というタイトルで放映されました。
村上 1978年8月、ロンドンに到着したエルアル・イスラエル航空のスチュワーデスたちがバスで移動中、テロに遭います。ユーリーは右腕に被弾しただけで助かりますが、同僚の18歳のイリットは即死、合わせて死亡者2名、負傷者8名の惨事でした。
犯人はパレスチナ解放戦線の、ファハドというイラク生れの22歳の男でした。終身刑を宣告され、イギリス国内の刑務所に服役します。
それから22年、2人の娘の母親となったユーリーは、友人の写真家の仕事を手伝う中で、パレスチナ人の悲惨な実態にはじめて接します。彼女は、これがテロリストを生む土壌だと思い、ふとファハドのことが気になります。やがて彼の消息を知ったユーリーは、獄中のファハドに手紙を出します。
彼との文通は、「なぜ生き残ったのが友達のイリットでなく自分なのか」という長年の罪責感からユーリーを解放します。と同時に、彼女は、イスラエルとアラブの「憎しみの連鎖」を断ち切るために、ファハドの釈放嘆願の運動を起こすのです。
東 ユーリーの運動を取り上げたテレビ局の討論番組で、「あなたは犯人をゆるすのか」という司会者の問いに、彼女がきっぱり「はい」と答えるシーンがありました。しかし、アラブを憎悪する同胞や、死んだイリットの母親からは拒絶されます。
村上 カメラは、中東戦争の和解への模索と挫折の歴史を織りまぜつつ、周囲の猛反発と非難を浴びながらも行動するユーリーを追います。
ところが、2001年の同時多発テロのニュースは、ユーリーにファハドへの怒りと憎しみを甦らせ、「自分の行為は間違っているのではないか」と、恐怖と絶望に打ちのめされます。しかし結局、ユーリーは釈放嘆願書に署名します。そして最後に、次のような彼女の言葉を伝えます。
「当初、私は、1人のテロリストを釈放することでテロそのものがなくなるのではないかと考えていました。しかし今、あらためて実感しています。テロをなくす唯一の希望は恐怖を克服し、互いに理解し合うことにあるのだ、と」。
けれどカメラは、2人の娘の外出に異常なほど神経質な母親ユーリーの日常を淡々と映しながら終わります。彼女の心の傷は癒えてはいないのです。
東 ユーリーの内面で「対話の扉」が開くきっかけとなったのは、パレスチナ人の悲惨を告発する写真でした。写真というジャーナリズムが、パレスチナ人の置かれている悲惨な現実を、イスラエル人であるユーリーに教えたわけですね。
村上 そうです。さらに「9・11」テロで恐慌を来したユーリーと対話し、彼女の決意を新たにさせたのが、パレスチナ入植地を15年間取材してきたギデオン・レヴィというジャーナリストでした。
彼は語ります。ユダヤ人はホロコーストという悲惨を経験した。だが、今、イスラエルはパレスチナに対して加害者なのだ。同時テロは、パレスチナ、イスラエルの問題とは直接かかわりはない。イスラエル人は常に被害者の立場に身を置こうとするが、それは間違っている、と。
東 つまり、これらジャーナリズムは、相手の立場に立つこと、客観的な目線で自分たちの姿を見ることを、ユーリーに気づかせました。
村上 しかも、ここで強調したいのは、このドキュメンタリーを制作したのがユーリー本人だということです。恐怖にさいなまれながらも、恐怖を克服して行動しようとする姿を示すことで、彼女自身がメディア(媒介者)になっています。
東 あたかも「メディアの連鎖」が「憎しみの連鎖」を超克しようとしているかのようです。揺れ動きながらも前に進もうとする。そこに人間ならではの光彩があるはずです。
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二元論の対立を乗り越えていくまなざし
村上 このドキュメンタリーが素晴らしいのは、ユーリーが周囲の猛反対の中で加害者を「ゆるす」という結論を出したあとでも、揺れ動く姿を伝えていることです。
ひるがえって、近年のさまざまな事件報道を見ると、メディアの論調そのものが「ゆるす」「ゆるさない」という感情的で単純な二元論で思考停止しているようで、不気味です。
東 そのことは、逆にゆるす余地がないと思われるような相手に対する、徹底した憎悪と罵倒のキャンペーンとなって現れていますね。オウム真理教の教祖や大阪教育大学附属小学校乱入事件の犯人のような、改悛の情なき加害者に対してはもちろん、和歌山カレー事件の被告や酒鬼薔薇事件の加害男性に対しても、逮捕直後から凄まじい量で私刑まがいのバッシングがなされました。
村上 むしろ、「ゆるしたいけれども、ゆるせない」「ゆるせないけれど、憎み続けることはやめたい」という苦悩と葛藤に対してこそ、ジャーナリズムの役割があるはずです。揺れ動く心に寄り添いながら、葛藤や対立を乗り越えていくためにどうすべきか。『マイ・テロリスト』はその希望の指針を示しているのです。
東 今年の元日をもって、酒鬼薔薇事件の加害男性は少年院を正式に退院しました。それに先だって出された山下京子さんのコメントが、静かな反響を呼びました。
村上 そのコメントは、私も新聞で読みました。彼の中の善なるものを信じ、退院後の彼が善を引き出せる人と出会えることを願う――という内容に心打たれました。
東 「善を引き出せる人との出会い」とは、まさに善き媒介者との出会いということです。
村上 マスコミの多くが、加害男性の病理が完治したのか否かに拘泥する中で、まったく別の視点からアプローチをされたと思います。「完治したのか否か。再犯の可能性があるのかないのか」をいくら論じても不安や不信を煽るばかりで、現実的な解決にはなりません。山下さんと東さんの共同作業に『マイ・テロリスト』と同質の役割を感じたのです。
東 私と山下さん夫妻が尊重したのは、アメリカの宗教哲学者パウル・ティリッヒのいうところの「それにもかかわらず」という姿勢でした。抜き差しならない状況に追い込まれたときに、それにもかかわらず、価値の方向へ自身を転じてみせようとする一念。ここにこそ、勝れて人間的な善性の発露があると思うのです。
村上 『酒鬼薔薇聖斗への手紙』(宝島社)への寄稿で、東さんは「悲劇のままで過ぎ去らせては、彩花ちゃんの生きた時間が社会に悲しみと人間への絶望感を残すだけの人生で終わってしまうと考えた」と述べ、手記の出版企画は「最も絶望している側から社会に希望を発信するという、彩花ちゃんの逆転勝利のためへの挑戦でした」と告白されています。
山下さんは、「東さんと出会えていなかったら、とても今日あるように蘇生できなかった」と折に触れて発言しておられますね。この逆転の論理はどうして可能だったのでしょう。
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絶望から希望へ――仏教思想の智慧
東 著者である山下京子さんと構成者である私との間で交わされたのは、「生と死」をめぐる対話でした。それはそのまま、京子さんと亡き彩花ちゃんとの内なる対話となりました。
基調となったのは大乗仏教なかんずく法華経の生命観でした。命と命の結びつきを見つめながら、彩花ちゃんの短い人生を忌まわしい〝宿命〟ではなく、深い意味のある〝使命〟へと捉え直していったのです。
断固として希望を切り開いてみせる――それが、非道な犯罪に対する私たちの決意でした。
村上 東さんが単なる取材者ではなく、宗教への深い理解をもったジャーナリストだったことは、山下さんにとって幸運なことでした。
逆に、これまでの犯罪や事故の被害者へのメディアの取材とは何だったのでしょう。取材者は、事件の悲惨さを伝えるために、被害者家族が悲しみや憎しみの感情を一生持ち続けることを要求するかのように、怒る被害者、悲しむ被害者という固定した役割を押しつけてきました。
最近出版された『〈犯罪被害者〉が報道を変える』(高橋シズエ他編、岩波書店)はそうした紋切り型からの脱皮が試みていますが、社会と事件関係者に「希望」を媒介するという視点は見えません。
東 一般に、宗教の役割は何らかの教義を提示することにあり、信じたい人がそれを信じ、安らぎを得られればよいと考えられがちです。
しかし私は、もはやそれだけでは現実の人間の苦悩や社会の課題に対して、やはり無力の誹りを免れないと思います。
もっと普遍的に万人が受容できる智慧を提供し、対話を通して人々が現実の人生を踏み出すことを可能にし、その自立を後押しするようなあり方こそ、今日に求められる「人間のための宗教」の役割ではないかと考えます。
仏教はむしろ本来、「こう信じなければならない」という画一的な押しつけを避け、どうすれば目の前の人が希望と勇気を生み出せるかに力点を置く宗教だと思います。われわれも、新しい価値創造の物語を生み出すために、どう考えていくことが賢明かという思索を慎重に重ねてきました。
村上 キリスト教には、「キリストのまねび(Imitation of Jesus)」という言葉があります。「ゆるす」ということでは、「ゆるすことができるのは神のみである」というのがキリスト教思想の根底にあります。裁くのも神だけだからです。信者はキリストにならって、自分もまた相手をゆるそうとします。キリストもまた媒介者なのです。
四月二日に亡くなった教皇ヨハネ・パウロ二世が、〇二年の「世界平和の日」に宣言した「正義なしに平和はなく、ゆるしなしに正義はない」という言葉も、「キリストのまねび」ということを考えれば理解できるでしょう。高邁で美しい言葉ですが、普通の人間にはとても困難です。
東 ユーリーはユダヤ人ですが、そういう意味で「ゆるす」「ゆるさない」という二元論に常にとらわれていますね。これはアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)に共通する伝統でしょうか。
この点、仏教的思考においては「ゆるすか否か」という問題は、さほど重要ではないように思います。被害者がゆるそうがゆるすまいが、加害者は自身の生命に刻印した因果律から逃れることはできないからです。
それよりも、「変毒為薬(毒を変じて薬と為す)」という言葉に象徴されるように、一つの悲劇に遭遇した当事者が、マイナスをプラスに転じ、そこから再び勝利していけるのか否かのほうが、仏教ではより重要なテーマになるのだと思います。
村上 山下さん夫妻もまた当初は「ゆるすか否か」の前で葛藤し、「自分たちは幸福になってはいけない」とさえ思い詰めていました。それに対し、東さんは「親子一体と確信して、ご自分が幸福になっていくことが一番大事なのです」と語られます。
やがて、ご夫妻は「もう憎まなくていいよ」という亡き娘の声を心に感じとり「憎しみ」の呪縛を断ち切っていきます。ここに、絶望から希望への転換点があったのですね。
そこから、自分の人生を肯定し、社会を肯定するまなざしを得ていかれます。この「希望の哲学」が多くの読者に希望を与え、加害者に対しても深い感銘を与えているはずです。
東 縁起や業という仏教思想は、起きた出来事や他者を客体化せず、あえて自身の生命との深い連関上に位置づけようとします。
たとえば無神論者は「すべては偶然だ」と考えるでしょうし、一神教の徒であれば「神の思し召しだ」と受け止めるでしょう。
これに対し仏教思想は、今世だけではない三世を貫く時間軸の中で、過去において何らかの因をわが生命に刻印していた結果として、今の出来事なり他者との遭遇があるのだと見ていくのです。
重要なことは、それが真実か否かということよりも、そういうふうに見ていった時に何が生まれるかということです。
外なる出来事について、じつは自分の生命に何らかの因、何らかの接点が内包されているならば、事態を動かしていく力点もまたわが生命の内側に見出せるはずです。それは、あらゆる運命をわが内的必然と敢然と引き受けつつも、自身が主体者となり、自身の変革から新しい希望を切り開こうとする思想です。
この自己規律の視点と発想はまた、とりわけジャーナリストという職業にとっても重要なものではないでしょうか。ジャーナリストが、自分の生命の痛みや錬磨とは無縁なところで単なる対象物として他者の身の上の事件や事故を眺めているところに、無責任な「劇場型メディア」や、さまざまな報道被害の生まれる陥穽が潜んでいるように思われるのです。
村上 東さんは宗教的な視点とジャーナリストであることをいかに一致させるかに心を砕いてこられたようです。私は、今やすべての信仰者がジャーナリストとしての自覚をもつべき時代だと考えています。
というのは、近代ジャーナリズムの誕生以前、宗教家がジャーナリストの役割を果たしていたという歴史的事実があるからです。
イギリスでは、ブロードサイドという「犯罪者の告白」を語るバラッド詩の載った刷り物がよく売れました。監獄の教誨師が書いたものです。また、日曜の礼拝時、牧師は犯罪や災害について語りました。聖書は過去の古典ですが、説教の場で現実の事件とともに語ることによって、聖書の世界そのものをたえず更新していたわけです。
日本でも同様で、中世には熊野比丘尼たちが辻々で曼荼羅図の絵解きというかたちで説法を行なっていたし、近世には因果応報を物語るかわら版が民衆に親しまれました。
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「現世教」としてのマス・メディアの終焉
東 宗教という言葉で思い起こしましたが、村上先生は、「現世教としてのマス・メディア」というアイロニーに満ちた、しかし本質を突いた指摘をなさっていますね。
近代ジャーナリズムは常に新しさを追うため〈今〉〈ここ〉というまなざしのみで世の中を切り取っていく。あたかも「現世こそすべてだ」という教義を伝道する「現世教の司祭」だ、とする村上先生の描写は、多くの人びとに新鮮なインスピレーションを与えています。
村上 朝晩と更新される新聞やテレビのニュースと広告によって、私たちの感情と欲望がたえず更新されます。日々繰り返し行なっているこの営為は、教会のように人々を一つところに参集させないままに、〈今、ここ〉〈次は何?〉という刺激を与え続ける巨大な儀礼だということです。
こうした感情と欲望の更新なしには産業社会は存立できません。じつは、近代ジャーナリズムの草創期に、哲学者のヘーゲルも同様の指摘をしていることをあとで知りました。
東 いわば朝晩という定時毎にニュースをリニューアルしてきた既存メディアに対し、インターネット上の情報は24時間、不定時にリニューアルされ続けます。先生は10年前から、ネット時代の到来によって、近代ジャーナリズムの儀礼性が崩壊するだろうと指摘されていました。
村上 ライブドアとニッポン放送・フジテレビそしてソフトバンクという新旧メディアの攻防は、それを象徴しています。
それは大量生産・大量消費を支えてきた、巨大な儀礼としての近代ジャーナリズムの役割が終わって、より微分化され分散していく時代の到来といってよいでしょう。
別の観点からすれば、半世紀前、言論弾圧で獄死した科学哲学者の戸坂潤が「現代は誰もがジャーナリストでなければならない」と語っていますが、そうした時代の到来でもあります。
東 重要なご指摘です。
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他者を受け入れようとする哲学の確立
村上 ところで、今日の哲学は「他者」とはいかに理解不能な存在かを証明しようと、思考の迷路めぐりを楽しんでいるかのような傾向があります。一方、メディアは、たとえば精神障害者をもっと厳しく隔離せよというように排除の論理を煽っています。これらは同じ時代の精神状況のなせるわざです。
東 その先鞭をつけている一つが、一部週刊誌に散見されるような、ジャーナリズムの体すらなさない中傷報道でしょう。責任ある批判と、悪意の中傷は、似て非なるものです。
日本では、しばしば「寛容」と「悪への黙認」が混同されてきました。こうした精神性の弱点は、メディア相互における批判の欠如という現象にも現れています。しかし、メディアが媒介者として復権していくことは、表裏一体で、「分断と不信を煽る思想・言論」への容赦ない批判を伴う必要があると思います。
村上 メディアが媒介者であるどころか、逆に人々を分断する役割を果している背後には、他者と社会への不信感の蔓延があるでしょう。今や「他者」への寛容と信頼を育む思想哲学が衰弱しているのです。
この数年、本屋に並ぶ啓蒙書の多くが「○○力」と題されていますが、この国の〝力〟崇拝の精神状況を端的に物語っています。その最たるものが「文化力」という言葉でしょう。文化は力(パワー)とは正反対のもののはずです。身体が力を渇望するのは衰弱の兆候です。衰えた身体が「異物」を受けつけないのはしかたないですが、精神が「他者」を受容できない状態はもっと深刻です。
なぜなら〝力〟崇拝が個人から集団そして国家にいたるまで侵蝕している現状は、かつてナチス・ドイツに追われた社会哲学者アドルノたちが「ファシズム症候群」と名づけた状況そのものだからです。
東 宗教(Religion)という言葉の原義は〈再び結び合う〉ですね。今や神と人をではなく、人と人とを再び結び合う「対話の宗教」「対話の哲学」こそ時代の要請です。
昨年お会いした平和学の父・ガルトゥング博士は、「ピース・ジャーナリズム」という概念を提唱しています。単なる紛争報道ではなく、対立の要因を探り、紛争を平和へと転換していく。対立でも妥協でもない、ジャーナリストが〈媒介者〉として関わることによって、双方が紛争の前よりもより善くなれる第三の道を開こうとするジャーナリズムです。博士は、「ピース・ジャーナリズム」の哲学的支柱としては、仏教思想が一番適していると述べていました。
村上先生は冒頭でメディアも〈媒介者〉という、宗教と相通じ合う原義を有することを示されました。私たちは今こそメディアを原点に立ち返らせ、それがどこまでも〝人間のため〟にある、そのことへの自覚を強く促したいと思うのです。
村上 それを可能にするかどうかは、従来メディアの「受け手」と呼ばれてきた私たち一人ひとりにかかっているともいえます。日々の人間関係において、私たちは互いに〈媒介者〉つまりメディアであるということの自覚からすべては始まるのです。なんだか話が振りだしに戻ってしまいましたね。
『潮』2005年7月号掲載 (WEB転載にあたり対談者双方で協議し若干加筆しました)
追記:村上直之先生は2014年5月に逝去されました。生前に賜った友情にあらためて感謝し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。