2005年12月12日月曜日

福運







 「福運」という言葉がある。それは、「運がいい、悪い」というような外的な好条件をいうのではない。命の内側にあるものを指す言葉だ。
 どんなに一生懸命に生きようとしても、歯車が狂ったように空回りしていく人がいる。権勢を誇った人間が、侘びしく没落していく姿がある。人間にとって、福運が尽きてしまうことほど恐ろしいものはない。

 もう35年ほども前の話である。私は小学校の3年生くらいだった。
 詳しいことは忘れてしまったが、ある日の午後、青白い顔をした、まだ20歳になるかならないかの若者がわが家の呼び鈴を押した。うつむいたまま、黙って何かを差し出して帰っていった。
 それは、母と顔なじみの美容室の息子さんで、何かの用事を母親から託されて、うちの母に届けにきたのだと思う。

 「あの子は何年間も、ずうっと二階の押し入れから出てこなかったんや。元気になってよかった」
 そのうちに、誰かが私にそう教えてくれた。母一人、子一人の、美容室の階上の住まい。その狭い住居の押し入れを想像しながら、私は子供心に、知ってはいけない他人の秘密に触れた気がして、このことは聞かなかったことにしなければならないと誓った。

 Tさんというその若者の姿を、それからしばしば見かけるようになった。
 「美容室の奥さんは、ずっと以前には、長いこと蛇を拝んでいたらしい」
 そう話す人もいた。その真偽はわからなかったものの、険しい形相で爬虫類の絵像に祈祷する母親と、何年も押し入れの中に閉じ籠もってしまった息子の双方を想像して、私は身震いをした。

 Tさんは、私の目から見ても薄紙をはぐように日に日に蘇生して、やがて地域の子どもたちのための活動に参加するようになった。幼かった私の妹は、彼と大の仲良しになった。
 私が彼と身近に接していたのは、それから数年の短い期間だったと思う。それでも最後のほうには子どもたちばかりではなく、大人相手に冗談を交わせるくらい、彼は変貌していった。

 あれから四半世紀以上、私はTさんの消息を知らなかった。ところがつい先日、妹から電話があった。あるところで、偶然にTさんと会ったというのである。
 すでに50代の壮年になっていたTさんは、地域社会の中で重要な役割を果たす立場に就かれ、多くの庶民の依怙依託となって活躍しておられるそうだ。しかも、本当に〝美しい〟顔をしていて驚いたと、彼女は興奮気味に伝えてきた。

 どういう事情があったのかはわからないが、母親と二人暮らしの少年が、学校にも行かなくなり、家の押し入れに籠もって出てこなくなった。
 そして、その少年が何かをきっかけに蘇生への道を歩みはじめ、50代になった今、若い頃よりもはるかに美しい表情で人生を生きている。命というものの復元力の凄さ。それを可能にしたのは、おそらく数限りない人との出会いであったのだろう。

 私は、自分の少年時代の一時期に、Tさんという人がいたことを、この上なくありがたく思う。彼が与えてくれた目には見えない数々のなにものかが、自分という人間の地中の礎石として、今の私を支えていることをしみじみと実感するからである。
 そのTさんは、今またこうして何十年という歳月をかけて、私に人生の大切なことを教えてくださった。

 福運というのは、宝くじが当たるとか、災厄に遭わないとか、そんなことではない。内なるものの現れ方はさまざまなのだろうが、根本は〝いつ、誰と出会うか〟という、「他者との邂逅」として表出してくるものだと思う。
 その出会いの結果、失敗や悩みや悲しみもすべて滋養に変えて、自分という人間が発酵し成熟していく。福運とは成熟をもたらすものなのである。

 では、どうすれば人は自分の胸中に福運を開くことができるのか。
 縁起物を買ってくるとか、方角を気にするとか、玄関に塩を盛るとか、そんなまじないでどうにかなると考えているのは、人間の壮絶さを知らない者である。
 資産を増やす方法や、有名校に入る方法や、きれいに痩せる方法には目の色を変えても、わが生命に福運を汲み出す方途への求道には、人々はいっこうに関心を示さない。

(2005.12.12)