国立劇場で市川ぼたんさんの舞う「娘道成寺」を観てきた。
ぼたんさんの舞に先立ち、演劇評論家の渡辺保さんの解説が20分ほどあって、素人にとっては大変ありがたかった。この日の舞台に足を運んだのも、もともと渡辺さんのインタビュー記事を読んだことがきっかけだったのだ。
さて、娘道成寺。正式名称「京鹿子娘道成寺」のベースになっている道成寺伝説は、今風に言うならばストーカー殺人事件である。それも、宿の女主人が泊まり客である若い美形の僧侶に強引な片恋慕をして肉体関係を迫った上に、最後は道成寺の鐘の中に逃げ隠れた僧侶を鐘ごと焼き殺すという、筋だけを考えればかなりショッキングで凄惨な事件である。蛇となって僧侶を焼き殺した女は入水して果てる。
この伝説の原型は、11世紀に成立した「大日本国法華験記」に登場するそうだ。天台宗の僧侶が法華経持経者らの伝承を集めたもので、渡辺さんの言葉を借りれば〝法華経の布教用パンフレット〟ということになる。
しかも前述の凄惨な殺人事件は〝前フリ〟に過ぎない。この事件で共に蛇道に堕ちた2人が道成寺の住持の夢に現れて成仏を請い、住持の読誦する法華経によって救われるというところに、このストーリーの着地がある。
なぜ法華経で救われたかといえば、法華経の提婆達多品には「悪人成仏」と「女人成仏」が説かれているからだ。提婆達多の成仏と竜女の成仏である。釈尊教団の幹部でありながら分派工作をしたあげく釈尊の殺害を企てた提婆達多が、それでも未来の成仏を許される話と、男性しか成仏できないとされてきた既成概念を覆して竜王の娘が成仏の現証を見せる話が、この提婆達多品に描かれている。
それまでの日本社会の仏教観では、女性は成仏できない穢れた存在だとされてきた。比叡山天台宗は、女性の成仏をも可能にする平等な思想として、法華経の流布に努めた。その文脈の中でこのスキャンダラスなストーリーが採用されたのは、人々の耳目を引きつけ、記憶に残すための仕掛けだったのだろう。
渡辺さんは、この〝布教パンフレット〟の内容が12世紀には「今昔物語」に取り込まれて文学として昇華し、さらにそれが能の「鐘巻」という演劇になり、義太夫節の「日高川」、荻江節の「鐘の岬」という音楽と舞踊、さらに絵巻物という美術へと展開していった歴史に言及される。「道成寺伝説」は、文学、演劇、音楽、舞踊、美術と多彩なジャンルを横断して、日本文化史における一つの山脈を形成していく。その深部に法華経思想が横たわっていると指摘されているのだ。
かつて宮本輝さんが吉川英治文学賞を獲ったパーティーで、祝辞に立った水上勉さんが語った言葉を、まだ20代前半だった私は少なからぬ衝撃をもって聞いた。水上さんは、宮本さんが法華経に造詣が深いことを踏まえて、源氏物語以来、中世から近世、近代へと、日本文学の底流にずっと流れていた水脈は法華経思想なのであるという趣旨の話をされた。
そう言われても、当時はその理由、つまりなぜ法華経思想がそれほど日本人の心を捉え続けたのかが、私にはよくわからなかった。けれども今回、もの狂おしい道成寺伝説の背景を知って、少し得心がいったような気がするのである。
宿屋の寡婦がわが身を滅ぼすほどの執念で追いかけた泊り客は、武士でも商人でもなく僧であった。その僧は、熊野詣に行く身であるからという言い訳で、女の夜這いを拒む。熊野詣が終わったら宿に戻ってくると言って女の夜這いをなんとか退けながら、僧は約束を守らず、別ルートで帰路につく。
騙されたことを知った女は蛇に姿を変えて僧を追いかける。そして、僧が道成寺の釣鐘に隠れていることを発見し、その鐘に巻きついて嫉妬の炎で僧を焼き殺すのである。
ふつう、僧や山伏は悪を調伏するヒーローであるのに、ここでは罪つくりな役であり、しかも寺の境内という場所で無残に焼き殺される。そうしたアンモラルでおぞましい物語が、これほど時代を超えジャンルを横断して民衆に支持されたのはなぜか。
それは、天下の半分を占める女性に、男性と同等の「成仏」の可能性を認めようとしなかった聖職者たちへの異議申し立てではないのかと私は思う。
男たちには救いを説きながら、冷酷にも女たちにはそれを許さない。熊野詣を口実にして女の求愛を退け、今また道成寺という聖域に逃げ込む僧の姿は、放置された世の女性たちの目に映る聖職者の理不尽さを物語っている。
人間の幸福のためにあるはずの宗教が、人間を差別し、拒む装置として、逆に人間を苦しめている現実。だからこそ、万人の生命に等しく幸福への権利と可能性を見出そうとした法華経思想の卓越性を、いにしえの日本のクリエーターたちは現代の生半可な作家たちが夢にも思わぬほど、よく理解していたのであろう。
ところで天台宗の古刹として今もある道成寺の現在の地名は、和歌山県日高郡日高川町鐘巻という、よくできたものだそうだ。