2016年5月31日火曜日

目覚めの始まり






 1945年8月。当時10歳になったばかりだった私の父は、疎開先の鳥取にいた。広島に「新型爆弾」が落とされたと聞いた数日後、父は鳥取の郊外で貨物列車が白い大きな荷物を運んでいるのを見た。

 よく見ると、荷物に見えたのは人間だった。包帯でぐるぐる巻きにされた大勢の兵士たちが、立たされたまま縛られて、京都の陸軍病院へと運ばれていたのだった。人目につかないよう、阪神間を避けて日本海側を迂回したのだろう。

 私は、この話を2007年8月の『毎日新聞』兵庫版に載った父のインタビュー記事を読むまで知らなかった。記事には「見てはいけないものを見たという気がして、この話は誰にもしませんでした」とあった。

 母方が広島の出ではあるのだけど、私はこの父の体験を読んだことで、自分が原爆と結びついていることを初めて感じられた気がした。

 2016年5月27日。私は締め切りの迫っている原稿の手を止めて、テレビ画面に見入っていた。オバマ大統領の車列が沿道の市民が見守るなか広島市内を進んでいく中継を見つめながら、歴史的な瞬間を目撃しているのだという、いささかの興奮を自覚していた。

 広島平和記念資料館から人々が待つ慰霊碑の前まで、誰もいない石畳のアプローチの端と端を、岸田外相とケネディ大使が速度を合わせて先導し、ずいぶんな 距離を空けて両国の首脳が中央を歩いていく。テレビカメラのフレームに入る範囲には、シークレットサービスも近づかない。

 慰霊碑に献花した大統領は、厳かに黙祷をささげ、17分余の「所感」を述べた。それから最前列に座っていた被爆者のもとに歩み寄り、その手を握りしめ、抱擁した。

 戦争終結や和解という歴史の局面においては、それまでの社会を走らせていた巨大な慣性を断ち切るうえで、政治には常にも増して〝高度な演劇性〟が要求さ れる。日米政府によって入念に配慮された段取りと、完璧な集中力で所作をこなしきったオバマ大統領の胆力と人間性によって、この日の数十分間は世界史に永 遠に記録される時間となった。

 ところで、この広島訪問が〝歴史的〟となったもう一つの理由が、その「所感」と称されたスピーチの内容だったと私は思っているのだ。

 オバマ大統領は、原爆を炸裂させ、今もなお世界に続いている戦争という暴力の本質について、「支配したい、制覇したいという思い」だと述べた。2009年のプラハ演説では、核兵器の脅威は語られたが、その脅威を生み出すものの所在については語られなかった。

 今回は、それを人間生命そのものに根ざす「支配したい、征服したいという思い」だと明言し、物理的進歩や社会的革新はこれらを増幅させ正当化させてきたのであって、「科学の革命」に「道徳上の革命」が伴わなければ人類は破滅しかねないと述べた。

 ではその「道徳上の革命」の肝要となるのは何か。

 オバマ大統領は、それは「万人の生命が尊極であり、私たちは人類という家族の一員だ」という理念であり、それを実感することこそ私たちが広島を訪れる理由だと述べた。

 核兵器というものが持つ全人類を滅ぼしかねない悪魔性が、本質的には人間に備わる魔性から生まれていること。したがって人類の存続には〝人間自身の革命〟が不可欠であること。その革命は「万人の生命が尊極」だという思想をもって可能になること。

 それを、現職の米国大統領が、最初に核兵器が使われた広島の地で語ったことに、私は胸を打たれた。

 大統領は、テロや腐敗、さまざまな非道が世界に今なおあることを示し、人間に悪をなす能力が存在する以上は、国家やその同盟は自衛手段を持たなければならないと述べた。

 しかし続けて、「わが米国のように核兵器を保有する国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければならない」と宣言した。

 核兵器の廃絶は、大国の首脳たちが話し合えばできるほど容易な問題ではない。事実、プラハ演説でノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領自身が、核政策を掌握する米国の権力の奥の院に行く手を阻まれてきた。

 広島でのスピーチは、核兵器の魔性が人間生命の魔性に由来するものであり、だからこそその廃絶には人間自身の革命が焦点となることを示した。

 それは同時に、核廃絶の行方を決定づけるのがけっして一握りの権力者ではなく、私たち一人一人なのだという〝希望〟を明らかにしたといえる。

 スピーチの最後を大統領は「the start of our own moral awakening.」(私たち自身の道徳的な目覚めの始まり)と締めくくった。